建築から学ぶこと

2009/06/24

No. 186

メセナがつくる新しい関係

企業の側から見ると、消費者とのあいだには、手を抜かない活動を通して当面の利潤獲得を目指す行動が横たわる。そこに望ましい企業イメージがつくられ、社会に認知されてゆく。一方で、企業のメセナ活動は、企業と社会をつなぐ新たな関係である。協賛金としてカネが動いたり、社員が活動協力をしたりした成果は経営数字に直接表われない。ただそれは余裕があるゆえのアクションではなく、企業の新たな可能性を孕むものである。そうでなければ、企業メセナに取り組む意味はないだろう。

メセナ活動の対象となる側—たとえばイヴェントやまちづくり活動などを実行する主体—は、企業に呼びかけ、企業が関与することの意味を掘り下げて理解するのが賢い。壁を乗り越えて加わってくる人たちは良き仲間でありメッセンジャーであり、同時に厳しい評価者でもある。かれらが加われば、自発性から始まった活動に背骨が通るであろう。

実際には、企業メセナの濃淡はその企業の業績に連動するおそれがある。NPOという、個人どうしのネットワーキングに立脚するシステムなら、経済の変調にも追随できるかもしれない。それでも、企業の見識や責任を問う企業メセナというかたちは独自の意義がある。資本主義社会における文化や企業のありようを問い直す切り口だからである。

さて、ビジュアルアートにかかわるもの、たとえば展覧会は、できばえを眼で確認できるし、その開催記録がきちんと残る。そこに加わったアーティストの評価が高まれば、無名の展覧会があとで大きく再評価されることもありうる。一方で、音楽活動に求められるのは納得できる成果を定期的に示し、それを定常的にサポートするという粘りである(だからこそ、記録としてのプログラム冊子はもっと充実すべきだ)。それがないと、音は一過性に終わる。企業はおのおの異なるメカニズムと課題を知ってメセナ臨まなくては。お互いの期待をきちんと理解しあうことで実りが得られる。

佐野吉彦

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