2020/01/22
No. 705
適切な教育システムが整えば、日本の未来は明るいだろう。ではいま、その成果は果たして出ているだろうか。新井紀子さん(国立情報学研究所教授)は「読めない子どもたち 犯人はICTじゃない、大人だ」(朝日新聞「メディア私評」2020.1.10 )で、OECDによる国際的な学習到達度調査<PISA>(15歳対象)の結果を紹介して、問題提起をしている。日本は、前回に続いて読解力の順位が下がったが、数学・科学リテラシーではまだトップグループにいるらしい。それゆえに新井さんは、読解力低下の原因は、世間が心配するような、教育におけるICT対応の遅れやスマホ依存が原因ではないと考える。
ここで注目すべきとしているのは、米国が読解力の順位を上げた点である。新井さんは「移民大国アメリカには、英語は母語なのだから自然に身につくという先入観がない。多様な背景の生徒に対して、学習に必要となる英語を体系的・段階的に身につけさせるカリキュラムの研究が盛んだ。そのカリキュラムの実践や教員の養成に対して、多くの予算が投じられてきた」と記している。その一方で「日本は学習スキルとして国語を身につけさせる体系的カリキュラムを編む発想が極めて乏しかった」と指摘する。その結果がじわりと順位に影響を与えているらしいのだ。
新井さんのこの論は「AIvs.教科書が読めない子どもたち」(2018東洋経済新報社)
での主張と共通している。手は打たねばならないが、私も、日本の英語教育が知的追究の機会から即戦力養成へと手が加えられたところは、逆に能力の基盤を弱める要因になっているのではと心配する。このままゆくと、インバウンドやオリ・パラで浮かれがちな日本の体力そのものが衰えてゆく懸念がある。新井さんは「我々大人世代と子ども世代では、取り巻く言語環境が激変した。その影響を低く見積もり、国語は「国語」であるがゆえに、自然に身につくと侮った私たち大人の怠慢こそ責められるべきではないか」と論を結んでいる。さあ、日本は大丈夫だろうか。