建築から学ぶこと

2010/12/08

No. 257

走るは奈良の丘

大和盆地を高みから望むと、村落や古墳が大海の島々のように浮いているように見える。だから日本(やまと)の美称を磯城島(しきしま)と言い習わすわけではないのだが、万葉集が語る大和の文化はこうして眺めわたす丘に花開いている。その丘をたどる山の辺の道は、豊かな文化を運び育んだ道ということができるだろう。

その大和盆地に、公認のフルマラソン「奈良マラソン」が誕生したので、走りに出かけた(12月5日)。これまでの春日野を走る奈良春日・大仏マラソン(10キロ)に付設されたかたちで、奈良駅の北にある鴻ノ池陸上競技場から春日野をかすめながら南へ下がって天理市まで往復するコースである。優雅なルートかと思いきや、天理へは平地から一旦丘陵を登って天理に裏山からアクセスする60mの高低差。しかもそれが帰りみちにも再度あらわれるという、攻撃的な設定であった。春日野あたりでも40mの上下が2度。道路規制の限界でもあるが、奈良を知るなら足で丘陵の存在を確かめよ、という趣旨と理解しよう。

一方で、中盤以降の<片側2車線歩道あり道路>では沿道の和やかな声援を身近に感じながら走る。交通が遮断されているだけにその声には感謝に堪えない。すべての種目の出場者が15,500人、6時間の制限時間で高い完走率を達成した事実を見ると、この日は皆がこの<現代の山の辺の道>を楽しんでいたことがわかる。奈良は長続きするツールを手に入れたものだと思う。

それにしても、駆け降りて開ける天理のタウンスケープは壮大なものだった。芯にある天理教本部と、隣接する天理大学などの教育施設や病院には景観としてのストーリー性がある。ゆったりしたキャンパス間道路がこの日の折り返し地点だが、必要なバックスペース確保の上ではおおいに機能していた(つくばマラソンにおけるつくば大学の例を想起させる)。

佐野吉彦

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