2006/05/31
No. 35
そこにいることで心と身体の安寧をもたらす領域、それが「縄張り」である。基本的にはプライベートな縄張りのことを指すが、仕事のテリトリーもここに含めてよいだろう。そこでの安定した活動のうえにビジネスの基盤を築いてゆくわけだから。
人はそれぞれ、さまざまな広がりのある縄張りを持っていると言える。正確に定義するなら、縄張りとは「ひろがりのある面」というより、領域のなかのポイントをつなぐ「ひとつながりのルート」と言うべきだろうか。どうつなぐ・つなぎ変えるかはその人次第。ポイントを移動することによって、人は自らの身体や思考の手順を確認するのである。
先日ガンで亡くなった絵門ゆう子さんが、連載コラムのなかで、その縄張りについて書いていた。彼女は{(動物は)大小優劣関係なく、それなりの「縄張り」を確保できているか否かが生きる力を支配する。動物は、体が弱れば弱るほど、自分の「縄張り」の確保に力を注ぐ。「いざ出陣!」体制になれるのは、縄張りの中で心身ともに力を蓄え、余裕がある時のみだ}と述べ、子供が育つうえでも、「縄張り」がいかに大きな役割を果たすかについても触れている。
絵門さんは最後までガンと前向きに向きあい、その経験を語ることで多くの人を勇気づけた人である。このコラムのなかにある{たとえばがんになったと知って体も心も弱っている時、現代の日本の医療環境では、「縄張り」を守るより、失くす方向に向かわされる}という指摘は印象深い。たとえ最高の治療効果が得られる病院であっても、{病気を知ったショックから心と体を守らなくてはならない時に、「縄張り」から離れた所に行かざるを得なくなる。これは弱った動物が生命を守ろうとする場合、本来あり得ないことだ}という実感には説得性がある。
在宅における医療が再度見直されている昨今ではあるが、引き続いて病院が大きな役割を果たすことに変わりがない。となると、病院の立地・建築計画に際して、患者固有の「縄張り」との接続、無理のない「縄張り」の創出といった視点が巧みに加えられる必要があるだろう。