2006/12/06
No. 61
設計者を報酬の入札で決めるのは適切ではない、という主張がある。当然であるが、そう単純に結論づける前に多少の検証をしてみたい。たとえば洋服を買うとき、購入者はある程度商品知識を持っている。加えて自分の好みがあって、世間の流行もわかっている。ここでもし情報が足りないと感じたなら、接客担当者にアドバイスを求めるだろう。そのうえで実際にフィット感や手触りを確認し、それらが価格と見あうものかを勘案して購入という決断に至る。もっとも、価格本位であったら訪ねる店は違うだろう。決断に達する手順はシンプルかもしれないが、それでも総合的な勘案をすることは変わりない。そうして、購入者はすぐに洋服を買うかもしれず、あるいはもう少しいろいろな店をめぐり歩くか、帰ってからよく考える。どのケースであっても、購入者にきちんと選択権が残っているのだ。たぶん、本や手土産の菓子を買うときも似たようなものであろう。
では、家を買うときはどうするだろうか。まず土地を選ぶ段階では購入者に意思が等しく存在するが、そこから先はかなり差が出る。家のイメージづくりとそれに沿う設計者選びに手間をかける人もいれば、かなり淡白な姿勢の人もいる。日用品よりずっと値が張ることもあり、価格の要素が大きな決め手となることが、この買い物の特徴である。しかし長く使う品物だから、それだけでは後悔すると思う。そこで、長期的に満足できる買い物をするための様々な情報を提供するサービスがあるとよい。知識の不足する購入者が総合的に判断できるよう、専門家がサポートするわけである。
買い物では総合的な観点はいつも必要なものだ。それなら、公共工事にも総合評価型かPFIがふさわしいのかと聞かれると、それは個々のプロジェクトによって事情が違う、と答えたい。ただすべてのケースにおいて肝心なことは、発注者(購入者)も受注者も賢く深く考えるべきだということ。冒頭の設問に戻ると、設計報酬入札が良くない点はその場面における意思が希薄になることである。内容とは無関係に額面しか根拠としないのは、買い物の本質から外れているのだ。