建築から学ぶこと

2023/07/12

No. 876

「無知」をめぐって

私が何かを知らないというのは、教えあるいは学びに不足があるからなのか。実はそうとも限らない。「無知」という実態にある、政治的・文化的に創り出される背景を探ろうとするのが「無知学」(アグノトロジー)という分野である(*1)。ロバート・N・プロクターによれば、無知とは「①(普通の意味での)知識の欠落、②選択的に失われ抑圧された知識。③意図的につくり出されたた無知」の三類型に分類できるという(*2)。政治が不都合な知識を提供しないという例は、歴史の上でしばしば見ることでもあり、近代では、ある技術分野を守るために健康への影響を覆い隠した例もある。一方で、倫理的にデリケートな状況ではあえて事実を知らせないという「有徳な無知」という視点もあるようだ。すでに「無知学」がカバーする領域は文理の枠を越えており、さらに、歴史分析だけでなく未来のリスクマネジメントにも関わる重要な知見が潜んでいるように感じる。
いつの時代も科学は危うい。科学が社会を豊かにした点は評価できても、科学者の見立ては正当性の裏付けに利用されるケースがあったり、原因と結果が科学的に証明されていないとの逃げ口上に使われたりすることはある。「私たちが利害関心を持つ事柄について、科学が明らかにしてくれるものと期待をかけすぎていないか」という問題提起は正当で、「科学に過度の期待をかけず、科学の手法やその限界を理解することは、科学の世界にとっても、社会全体にとっても、無益ではない」(両方とも*3)のである。これは政治家にも、科学に携わる者も弁えておきたい観点ではないだろうか。
ところで、この1年を振り返ると、ウクライナ情勢のニュースが前面に出ている間に、気候変動に関わる危機は相変わらず進行している。これは「無知」状況とも言い切れないが、開示が遅れている真実はあるかもしれない。

*1 現代思想2023年6月号 特集「無知学/アグノトロジーとは何か」より(青土社,2023)

*2 同特集内の野家啓一の論稿 *3 同じく中尾麻伊香の論稿

佐野吉彦

無知の領域。

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