2022/02/23
No. 808
「戦争記念碑は物語る」(キース・ロウ、白水社2022)は、世界各地の戦勝碑や追悼碑を訪ねて、そこにある意味を探る本である。その副題にあるように「第二次世界大戦の記憶に囚われて」いる現代のコミュニティを探る旅、と概括できる。戦争や苦難を意味づけるとき、政治は誰かをシンプルに善か悪と明確に定義することによって、その足元を固めようとする。その設置が政治プロパガンダであったなら、政治局面が変われば記念碑は一挙に時代錯誤のものとなる。そういう例がある一方で、政治性を脱色した未来指向の作品を企画してみたものの、そのメッセージが現実とうまく交じりあわないものもある。
結局のところ、戦争にまつわる記念碑の寿命は想像するより短いようだ。著者は、25例を紹介しつつ、いくつかのものの存続を疑っている。理想的には、記念モニュメントは対立しあった同士が連携して作りあげるかたちが良いのではないか、というのが著者の見方だ。それぞれへの評価をここで紹介するのはデリケートなので省略するが、著者は建築家ダニエル・リべスキンドのアドバイスを受けており、記念建築にも切り込んでいる興味深い本である。
さて、この本と同時期に読んだのが「どうしてこうなっちゃったか」(藤倉大、幻冬舎2022)と題した、ロンドンをベースに活動する作曲家の半生の記録である。既成の制度の壁を見事に乗り越える痛快さも面白いが、個人同士の信頼を判断と活動の基盤に置く人生観は素晴らしい。同じプロフェッションは国境を越えるのである。そう言えば、昨夏の東京から今冬の北京と続くオリンピックを見ていて、これからも希望があると感じたのはプレイヤー同士、プレイヤーとコーチ相互の能力の信頼・畏敬であった。それは国境を越える力があると言えるのではないか。