2018/07/11
No. 630
建築を切断し、あるいははぎとり、うがつアクション。短い人生の中で、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-78)がおこなった多角的な試みと企てを、東京国立近代美術館で俯瞰することができる。初めてその名を耳にする人にも楽しめる内容だ(9月17日まで)。私がその名前を刻みつけたのは1994年の早春のベルリンで、まだ東西の壁があったあたりの再整備は進んでおらず、ぽかんと空いていた。たまたま美術館で手に入れたGalerie Frank+Schulte(現 Galerie Thomas Schulte)の案内をもとに訪ねてみたら、そこにマッタ=クラークのドローイングなどがあった。それはこのまちの灰色の空と不安定な状況と符合していた。
マッタ=クラークは建築出身で、ニューヨークを活動の基盤とした。60年代から70年代のこの街には活力があり、混乱があり、社会問題があった。そこにあって、彼は都市や社会の既成概念を問い直そうとし、そしてくつがえそうとした。眼前にある建築は立ち向かうターゲットとなる。後年、社会は「サイト・スペシフィックな表現」を受け入れるが、マッタ=クラークの当時の取り組みは、土地や建築と折りあいをつけるような穏やかなものではなかった。
2000年に、マッタ=クラークの印象を東京芸大の先端芸術科の教授になったばかりの木幡和枝さんに飲み屋で話したら、それなら今度取手で川俣正さんと一緒に家を切断するからいらっしゃい、と誘われる展開になった。それが、私にとってはマッタ=クラーク流の切れ味を伴って始まったTAP(取手アートプロジェクト)の出会いだった。TAPは今も土地に潜む可能性を掘り当てようとする問題意識を持ち続けているが、そのはじまりにはこの作家の影響力が静かに及んでいたのだった。
それはともかく、この作家は忘れるべきではない。お奨めの展覧会である。