2006/03/15
No. 25
長らくオリンピックの脇役だったパラリンピックも、競技のレベルも人気ともに注目を集めるようになった。トリノの種目にあるアイススレッジホッケーなどには格闘技の激しさがある。アスリートが甘えのない練習に支えられているからこそ、観る者を昂奮させるプレーが生まれるのである。どんなスポーツにもルールはあるが、この場合、プレーヤーがスレッジ(そり)や車椅子に座しているというルールに基づくわけで、健常者もこの競技に参加することができる。そこで対等の勝負となる。障害者スポーツとは、つまり、誰もが参加可能なスポーツのカテゴリーのなかにある。
昨年秋から、特定非営利活動法人・障害者スポーツ支援センター (Adapted Sports Support Center) の活動がスタートした。障害者スポーツの普及を目指すNPOであるが、ノーマライゼーション社会を実現することをおおきな目標に掲げている。その理事長である高橋明さんは、「障害のあるアスリートたちは、<何ができないか>ではなく、<何ができるか>を私たちに気づかせ、生きることの大切さを教えてくれる」と述べている。障害というものが個性であり特性であると考えるなら、誰だって等しい条件のもとにある。その視点から、用具やルールを工夫すれば障害者も健常者も同じように楽しむことができるという意味の Adapted Sports を Support しようという活動に展開してゆく。
ではなぜスポーツなのか?被災地や紛争地の自立支援に携わっている有森裕子さん(障害者スポーツ支援センターのアドバイザーでもある)は、内戦で疲弊したカンボジアのこどもたちにスポーツを教えた経験から、スポーツを通して「ルールを学び、コミュニティーを再生する力を生み、そして皆が健康になる」と語っている。身体を発見すること、身体の個性を発見することは、他者の個性を知り、そのまちにあるべき個性を発見することにつながるのではないだろうか。