2007/10/24
No. 104
黒色に包まれ、さらに照明を落とした静かなスペース。そのなかに掲げられているのは明るく重なる樹々、そして輝く滝。熊野の森を扱った連作を見る場所だ(<海と山のあいだ>)。さまざまに描き取られた豊かな自然を、ゆったりと歩いて味わい、また覗きこむ。写真家・鈴木理策の眼の動き、快い驚きが伝わってくる。鈴木は、対象との距離の取り方を「自分がカウントしている時間の物差しのテンポと、物と場所が持つ時間のテンポが同期してゆく」という表現で語っている(「美術手帖」2007-11)。その作品は、この仕掛けられたスペースを通して、鑑賞者を共感させ、同期させてゆく。
火をテーマとした作品<唯一の時間>が並ぶ「経過的空間」を経ると、すべてが白くまばゆいスペースに雪景色が展開し、満開の桜へと遷移してゆく(<White>、<桜>)。雪の肌のきめ細かさと、自然の白が照り返す光は晴れやかさを宿すものだが、どこか人工の風景を見ているようでもある。鈴木の視点は、風景のなかの「たくらみ」を丹念に読みとっているのだ。何気ない瞬間を見逃さない写真家の心のしぐさが感じられる、そうした展覧会であった。
鈴木は<サント=ヴィクトワール山より>を出展した「サイト – 場所と光景」展カタログのなかで、「感覚の中で視覚は確かに大きな役割を担っているので単独のメカニズムに思われるけれど、そうではないでしょう」と記している。ここでは、歩きながら風を匂いながら、感覚を溶けあわせ、その一連の手順を連作というかたちにして表現している。写真家は、セザンヌにとって特別であったこの山の持つ磁力を、身体でつかまえている。
その鈴木の魅力的な近作が<青森県立美術館>だ。青木淳の建築を経験しているときの驚きが、「Jun Aoki Complete Works 2」のページを繰るたびに伝わる。もし建築が、自然と同じような奥行きと豊饒さを湛えているならば、優れた眼を備えた者を必ず揺さぶるであろう。そのことを伝える写真でもある。