建築から学ぶこと

2017/08/09

No. 585

その場所にその建築が残った理由

建築が安全であり、健常に保たれていることで、その寿命は延びる。それは一般則であって、建築を生き永らえさせようとする思いが鍵となる事実も見逃せない。たとえば、和歌山県岩出市に残る重要文化財<旧・和歌山県議会議事堂>(1898)も一例である。もともと和歌山城の内堀に面していたが、その後、県庁の竣工に伴って現・JR和歌山駅近傍に移設されて(1938)、民間の事業所に転用される。その後和歌山市中心部一帯は空襲で灰燼に帰したので、議事堂建築は消滅を免れたことになる。
大空間の使い勝手が良かったのだろうか。建築の面構えに品格があったゆえかもしれない。1962年には現在ある根来寺境内に再移設があって客殿として使われたのち、2016年の修復で当初の議事堂の状態に復原され、大空間は多目的スペースとしても使われることになった。この建築を活かそうとする思いのバトンが渡った好例と言えるだろう。
もうひとつの例、山形県東村山郡山辺町にある<オリエンタル・カーペット社の本社工場>は、低層木造建築(1949)を丁寧に維持して使っている。クオリティの追求は製品にも建築にまたがっているようだ。同社は緞通(中国絨毯)のトップメーカーであるが(新しい歌舞伎座でも採用された。)、繊維産業の歴史が長い山辺町のなかで、戦前から緞通の技術導入を図ってきた。そのビジョンが、企業と建築を長持ちさせているのである。
別の例では、建築そのものは受け継がれてはいないけれど、阪神大震災で損傷した後、坂茂さんの手で聖堂が再生された<カトリックたかとり(鷹取)教会>(1995、2007)は、ずっと多文化共生社会の結び目の役割を果たしている。鷹取では建築に思いをこめることと、人が集まろうとする力とが、重なりあう。これまで紹介したどの建築も、それが契機となって、地域の活力の維持にもつながっているのだ。建築をめぐるさまざまな歴史とは、その地域に生きた人の歴史そのものだと言える。

佐野吉彦

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