2018/10/03
No. 641
夏の終わり、サントリーホールで開催されるサマーフェスティバルで、ずいぶんたくさんの現代曲を聴いてきた。たとえば、第637回で触れたヴィトマンのバイオリン協奏曲(世界初演)は繊細な響きがした。サントリーホールという場は先鋭な試みをもやわらかく明瞭にするのだが、かつてシュトックハウゼンやクセナキスが溶出した音群も、ここではとても分かりやすいテクストとして聴けてしまうのは不思議だ。そうした時間を楽しんでいる時に、しばしば音響設計の永田穂さんが近くの席におられることがあった。今日のはなかなか面白かったね、という感想をお聞きできたのは、楽しい記憶である。
その永田さんはこの夏に93歳で亡くなり、そのお別れの会が過日サントリーホールで開かれた。初めに3人からのあたたかな「言葉」があり、続いてオルガンと声の演奏が捧げられたあと、ご遺族からこのような逸話が語られた。<故人は日課として新聞などから良い文章を切り抜いてスクラップをしていた。料理の描写も多くを占めていた。永田穂という人は、空間の良い響きをどのように言語化し、あるいは数値化するかに関心を持ち続けたことと相通じているように思う>と。永田さんは理論追究という基盤の上に仕事を位置づけていたに違いない。
当日配られた冊子には<よい音環境の基本的な条件は’静けさ‘であり、ほどよい響きの空間で、心地よい音が流れていることにつきる。>という永田さんの言葉が記されていた。それは永田さんが目指してきた目標である。今も昔も、時代が新しい価値や製品を生み出す度に、世の中の音環境はバランスを失いはじめる。それと向きあいながら、音響設計者も音楽家も、そして建築設計者も考える。心地よい音と、そこから得られる静かな悦びを掘り起こすにはどういう手を打つべきか、どのように協力しあえるかを。