建築から学ぶこと

2009/01/07

No. 163

建築は楽観的な仕事である?

流動的な状況にかたちを与えることが、建築家という職能が本質的に持つねらいである。そのことを知っている権力者、たとえばヒットラーやスターリンのような人物に重用されてきたのも建築家であり、自らかたちを革新的に提言してきたのも建築家である。かたちを通してメッセージが広く伝播・浸透してゆく点でどちらも建築家の責任は重大なのだが、重用されることは創造性という面では危険かもしれない。既存の概念を再定義しなればならないはずが、受動的な位置にいることで保守性に染まるおそれがある。

その意味で、職能を正しく維持継承するために建築家は自律性が求められる。一方で、現代の建築家は発注者と適切な関係を持つことが要請されている。1999年に合意された「建築実務におけるプロフェッショナリズムの国際推奨基準に関するUIA協定」は、発注者の代理人として建築家が実務面のリーダーとして的確な役割を果たせるかを明瞭に問いかけていた。この協定には、1980年ごろから、発注者の利益を何よりも優先することが語られるようになったという背景がある。建築家が設計情報の統合をベースとして多様な発注・生産プロセスを能動的にコントロールし、発注者への責務を果たすことが職能の本分である、とされたのだ。

これは「楽観的な気分」に対し、冷静さを促したようにも思われる。その冷静さとは、反語的な表現ながら、建築家が受動的であることを戒める冷静さではないか。建築家が自発的な視点を失えば、建築と建築界のクオリティは保証できなくなるはずである。たとえ発注者がペシミスティックであろうと、暴君であろうと、骨太な楽観性によって作品の実現プロセスを仕切ることのできる建築家だけが、21世紀中盤に向けて真の建築家を名乗るに値するであろう。

佐野吉彦

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