建築から学ぶこと

2021/01/20

No. 754

災害が生み出してきた「可能性」

26年前の1月17日に、阪神・淡路大震災が発生した。1995年当時の情報インフラでは広域な災害下で機能を果たせず、被災地にいた私にもなかなか全貌を把握することが困難だった。まだ誰もが携帯電話を持っていない時期、各エリアにおける課題をうまくケアし、つないでいたのがボランティアである。その機動力と手ごたえが1998年の<NPO法>(特定非営利活動促進法)につながり、その後NPOはまちづくり・市民活動の重要な担い手となっていった。被災地の復興プランは時間をかけて実現していったが(「神戸医療産業都市」の実現など)、震災が生み出したこの動きはそれ以上に特筆すべき展開である。
2011年の東日本大震災はまだ総括するには早いのだろう。この災害と重ねて見るべきものが、2010年代から注目され始めたIOT・ビックデータ・AIなど、情報技術をめぐる目覚ましい変化である。いつのまにか人は情報端末と一体化し、SNSが人と人を結びつけるキープレーヤーになっていった。東日本大震災の復興はこうした情報インフラとともにあったし、今後も距離を越えた連携といったかたちを取りながら進むのであろう。
そして現在のわれわれは、新型コロナウィルス感染症という<災害>の真っただ中にいる。すでにビジネスモデルの変化、ワークスタイルの変化という概念は2010年代に生まれていたが、この災害は社会のありかた、都市構造の変化を加速させたと言える。兵庫県が1995年7月に発出した「阪神・淡路震災復興計画」には、「これまでの「利便」・「効率」・「成長」を重視する都市文明への大きな警告と受けとめ..」と記しており、確かに当時はそういう気分があった。だが実際には、災害は都市文明の新たな可能性を引き出す契機となってきたのではないか、という気がしている。決して元の状態に戻らないことを前向きに捉えたい。

佐野吉彦

震災の慰霊碑(西宮市・満池谷)

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