2022/02/02
No. 805
大きな事業をまとめるときや、難局を乗り越える必要があるときは、さまざまな知見を集めることが力となる。特に感染症やエネルギー問題といったテーマは、科学と政治の間に冷静で積み上げた対話があってこそ正しく立ち向かえるものであろう。当然、観点が違えば価値判断が異なるかもしれないが、事態が急を告げている状況だと、とかく落としどころを探る動きが先行し、議論は生煮えのままという傾向がある。
それだからこそ、異なる立場同士が日常から相手のロジックを知りあっておく必要がある。たとえば、藤垣裕子・東京大学教授(科学社会技術論)が紹介する<日仏先端科学シンポジウム>の経験は示唆に富む(*1)。記すところによれば、両国から若手研究者が40名ずつ参加して、物理・化学・生物・地学・マテリアル・数学に、人文社会を加えた領域のトピックを分野横断的に議論する場である。専門研究者は他領域の研究者にわかるようにプレゼンテーションし議論の口火が切られるが、フランスの自然科学者は人文社会のテーマにも率先して議論に加わっているようだ。その関心は日本の伝統文化にも及んでいるという。
それこそが対面交流・国際交流が生むスリリングさであり、シンポジウムで得られる新たな知見は、個々の専門領域・固定観念に弾力をもたらすメリットがある。残念ながら、この2年ほど世界がそういう有意義な機会を失ってしまった。木村幹・神戸大学大学院教授(韓国政治)が近著(*2)で懸念しているのは、海外との交流途絶によって「互いの置かれた状況を客観的に知ることが難しくなり」、それが「日韓両国の相手への理解の乖離を大きくさせる」点である。両国外交のこれまでの歩みを考えれば、定常的な交流を通じて得られるフィードバックほど重要なものはない。
対面の国際交流がいつ再開できるかはまだ読めない。だからこそ、今から連携や共創がスムーズに運ぶよう、工夫と準備を重ねておくべきではないか。国内も同じことである。
*1「フランスの自然科学者―<科学と社会を考える>第4回―」“白水社の本棚”2022年冬号掲載
*2「韓国愛憎 激変する隣国と私の30年」中公新書2022