建築から学ぶこと

2007/04/25

No. 80

審査すること、されること

この1年を振り返ってみても、実にいろいろな審査に参加したものだ。いくつかの候補から1者を選び出すタイプがあり、複数を選ぶものもあり、それに順位をつけるものもあった。評価点をつけることに限定した役割もあり、その候補が規準を満たすものかを判定する作業もあった。共通するのは、どの審査も複数の審査員によっておこなわれるもので、私の選択眼だけで決まったものはひとつもないということだ。

すぐれた審査あるいは永年にわたり実施されてきた審査は、手順がぶれない。審査員が招集され、しっかりとした事務局かコーディネーターが的確な情報を審査員に与え、応募案を前に置いて幾度か議論を繰り返す。審査委員長の存在感はあっても、その主観が結論を誘導することはない。そういう作為をすると、審査がいい加減になり、審査委員長の評判を貶める。幸い、私の加わった審査は、どれも公正な手順と議論が見事な結論を導いていた。最終成果は審査員の「共同主観」によって決まってゆくものなのである。

議論を重ねる過程で、審査員は「お互いの目の付けどころ」を理解しあう。ある魅力的に見える提案を、複数の視点が切り刻んでゆくことで、正しい評価が構築されてゆく。その点では、審査とは創造的な作業であると言えるし、そのために集中した時間・期間が確保されるべきものである。応募者も真剣、もちろん主催者も真剣。審査員は、その時間・期間のなかでその真剣さによって鍛えられてゆく。

現実には、私は応募する側にいることのほうが多い。応募する側にいると、審査する側のこれまで述べてきたような「成長」・「進化」が想像しにくい。実は、応募作品が眼の前に置かれるまでは、まだ当選するための明瞭な規準が出来ていないのだ。応募作品群・資料は、審査員たちを刺激・触発するであろうし、挑発も仕掛けるだろう。そこから大勢の人間を巻きこんだ知的なゲームが始まるわけである。

佐野吉彦

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