建築から学ぶこと

2020/09/16

No. 737

ブラジルにおけるチャレンジ

1880年代から始まっていたハワイや北米への移民に続いて1908年、笠戸丸がブラジルに向けて出航する。このブラジル移民開始から100年を過ぎて、大都市サンパウロにおける日系コミュニティの歩みと現在を丹念に追う本が「移民がつくった街 サンパウロ東洋街」(根川幸男、東京大学出版会2020)である。この時代、19世紀末から20世紀初頭にかけては、世界を人が動く時代であった。背景には渡航する側の不景気と新天地の労働需要もあったが、それだけではない。時代が新たな場所でのチャレンジを誘ったとも言える。

もともと農地開拓を目指した日本からの移民は、やがてサンパウロのコンデ・デ・サルゼーダス通りに拠点を見出し、この都市発展を支え、日系人コミュニティのプレゼンスを高めてゆく。戦後は隣接するリベルダーデ地区に重心を移し、そのなかで4つの「新伝統行事」(花祭り、七夕祭りなど)を創始する。これは、1960年代から70年代にかけての、「準拠集団としての日本を参照しながら都市化した日系住民たちが現在自分たちのいる場所に意味を与えてゆく」作業である(引用)。こうした高揚はブラジル以外のエスニックコミュニティでも起こっていた。

サンパウロの取り組みは、日系が当地で根を下ろしたことの証でもある。リーダーであった田中義数や水本毅らが、この地区で「東洋街」と名付けた長期的・包摂的な地域づくりを構想したのは大きな功績である。やがて80年代に至り、多文化主義的な言説がサンパウロの特質として語られるようになった。そこから現在に至るまで、日系が作り出したカルチュアは、この都市だけでなくブラジルに必須のエンジンとなっている。

この本は、サンパウロでのチャレンジや知恵の創出は、同時代の日本の歩んだ道のりと重ねあわせることで理解が深まる。同時に、日本国内におけるエスニックなコミュニティの可能性についても示唆を与えている。

佐野吉彦

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