2013/11/20
No. 401
「建築雑誌」11月号(日本建築学会)の特集<「建築家」が問われるとき>は、戦後史のなかで建築設計者と設計組織がどのようにシフトチェンジしてきたかを俯瞰する企画だ。巻頭のインタビューに登場する平良敬一氏(建築ジャーナリスト1926-)が証言する、1960年以前にあった民主的な設計共同体の模索、すなわち、当時の思潮を背景とした、NAU(新日本建築家集団)から五期会に続く流れは興味深い。その問題意識の炎は、高度成長期になっても静かに受け継がれていたように思われる。イデオロギーは別にしても、いかに設計プロセスや組織づくりのなかに対等性や自律性を担保するかは、組織のスケールを問わず、今でも問い直され続けているからだ。日本の戦後は、先行した理論構築が現実の壁を突破できなかった歴史のようでもあるが、現実からフィードバックを受けながら、実はしぶとく理想型を探求していると思う。
この特集の最終的なねらいは、東日本大震災以降のあらたな模索を位置づけるところにある。被災地における建築家の活動を取りあげながら、コミュニティに立脚する活動、コミュニティとの間で進化拡張する能力を明らかにしてゆく。かつての探求にあった、同根である建築家同士のコミュニケーションに対する高い関心は、次第に、専門家と他者がどのように理解しあえるかに注意を払われるようになってきている。どちらも重要な視点だが、後者は建築外から見れば遥かに分かりやすい議論であろう。
たぶん、健全な動きに向かっていると言えるだろう。どの分野においても、同質の集合にある完結性を外して新しい扉を開いてみたいものだ。以前私は、最初の著作「見えるもの 見えないもの」の最終章「共同主観」の末尾をこう締めくくった。「あなたはあなたであって、わたしはわたしでしかない。その単純な事実がこの世を複雑にし、魅力的にしていると思う。所詮他人の考えていることは最終的には理解できない。けれども、人と人とがわかりえない存在であるという事実を認めること。そこから前へ向いて歩きはじめるのだ。」
「見えるもの 見えないもの」(集文社1999)は、安東孝一と阿部紘三(故人)による仕事。