2018/03/21
No. 615
どんな分野でも本番とはリスクと隣りあわせである。講演会や独奏会のように主役がひとりであっても、オペラやミュージカルのように、演じられる技能も登場人物も多彩な場合でも、何かが待ち構えている。いくらリハーサルを入念におこなっても、本番前に急な事態が起こりえるし、ステージが始まってからも主役が思いがけない怪我をするケースもある。私も、観客としてあるいは運営側としてそういう事態は何度か経験したことがある。それでも現実に本番がキャンセルされたり、中断に陥ったりすることはあまりない。事態を乗り越えるモチベーションは意外なしぶとさを持つものだ。そこではたぶん、優秀なディレクターが采配を振るっているか、あるいは関係者の意思疎通が十分にゆきわたっているゆえに、リスク回避の努力に成功できているのかどちらかである。実際には後者の要素は重要である。自発性があるステージには柔軟性が備わるものだ。それは、都市に優れた文化が育つためには、誰かが上意下達で仕切るよりも、自然発生を許容する空気が大事だというのと多少似ているかもしれない。
最近、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲の「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」(1786)を教会の聖堂で聴く機会があった(*)。この曲は、司祭が語りかける7つの祈りの言葉に続けて、それぞれ毎に演奏者が7つの楽曲(+序奏と後奏)を奏でる形態をとる。楽曲は平明だが、ミサ曲のように祈りや説教の間を音楽が埋めるものではないので、祈りを唱える司祭も奏者は呼吸を合わせ、お互いを活かす共時性が求められる。当日はどちらかがリードするのではなく、自然な流れで仕上がっていた。この場合、カトリック夙川教会聖堂というスペースがうまく寄り添っている。おそらく、建築が導き出すバランスとモチベーションというものが生まれていたのではないか。
* 鷲見敏〔チェロ〕他による弦楽四重奏+梅原神父2018.3.18