建築から学ぶこと

2007/04/11

No. 78

ミクロネシアとの由縁

太平洋の島々のなかで、日本に最も近いのがミクロネシアと呼ばれるゾーンである。海洋を介して交易をおこない、ネットワークをかたちづくっていた海域は、16世紀のスペイン船来航あたりから、苛烈な歴史ドラマの中心に据えられることになる。やがてドイツが制圧し、アメリカとイギリスが一部を押さえる時代を経て、日本の委任統治下に入るのが1920年。その後太平洋戦争の主舞台になり、アメリカが接収し、基地の島や核実験場として効果的に使われる段階があって、少しずつ国家として独立してゆく。現在の、ひとまずの安定的状況は、こうした時代を経て、16世紀以前とは全く異なるネットワークによって維持されているものである。

ミクロネシアにはそれぞれの時代が残した爪あとが残っている。それらは混交して独特の多義的なポートフォリオをもたらしている。独立国家・パラオの言葉に残る日本語もそのひとつ。モンダイナイ、とかキンロウホウシとか。これらは日本統治の時代に誕生した概念・生活習慣である。それに比べ、日本時代の街並や、工場を含めた建築物は残っていない。日本型の都市構造や産業構造については消滅してしまっている。むしろ戦後のアメリカの影響のほうが大きいだろう。

こうしたさまざまな「由縁」は今後のミクロネシアを構築するうえで、前向きに使えばよいのだと思う。ソロモン諸島沖の地震、海面の上昇が存亡の危機につながる国家・ツバルなど(前者はメラネシア、後者はポリネシアに属する)、太平洋の島々が向きあう様々な困難は日々耳にする。こうした課題に、「由縁ある日本」の果たすべき役割は大きい。

佐野吉彦

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