2021/10/20
No. 791
私が大学で理解した建築の歴史というものは、概ねこのような筋道だったと思う。すなわち、[古代]にはギリシアやローマにおける様式の成立があり、その時期は建築様式と建築生産が合致していた。しかし、[中世]とりわけルネサンスに近づくと、様式と生産との乖離が大きくなった。やがて[近代]に至って新たな建築生産技術(フロートガラス、金属サッシュなど)が生まれ、それらの特質を活かすスタイルとしてモダニズムが確立し、建築のあるべき姿として世界に伝播した…。
それはしかし到達点ではなく、学生であった1970年代はモダニズムの先を模索する局面と言えた。後で振り返ってみれば、そのころの[現代]においては、建築をさらに進化させるなかで、ローカルな建築スタイルからのフィードバック・学びを重要な切り口としていた、と整理できるだろう。ローカルから編み出す方法論とは、風土に順応し、地域で蓄えた技術を建築生産全般に活かすアプローチである。すでに実際にローカルな建築スタイルからのフィードバック・学びを先行して取り組んだのがバルセロナにおけるアントニ・ガウディ(1852-1926)であり、バルセロナの鋳物技術がなければその作品は生まれていない。その活動の再評価が始まったのが1970年代だと言えるだろうか。一方で、ベネツィアに生まれ北イタリアを基盤とし続けたカルロ・スカルパ(1906-78)は、建築金物にかかわる職人技術を、自らの表現を支える具体的な力としており、注目を集めていた。
彼らがローカルなものに感じ取ったのは、建築の手触りにおける建築のリアリティだっただろう。建築金物は建築を構成する要素であるが、同時に建築と人とを結ぶ接点になる。つまり、人はそこに「さわる」ときに建築にある信頼性、建築家の目指す空間の確かさ、さらにその建築で行われている活動の信頼性などを感得しているのである。彼らの歩みは、建築は奥深くあるべきことと、親しみやすくあるべきことの両方を伝えてくれた。