建築から学ぶこと

2024/08/07

No. 929

大連は、安井武雄のはじまりの地

久しぶりに大連に出かけた。約20年前に設計に携わった大連理工大学の施設は情報系の学部であったから、その後の教育研究の発展もあわせて確かめることができたのは嬉しい。予想に違わず、中心部は高層化もウォーターフロント整備も大きく進んでいるが、文化財指定された近代建築群が都市景観のアクセントになっている。それらの多くは日本統治の時代にできた建築物で、しかも修繕の手が幾度も加えられて現役として使われている。

安井建築設計事務所の創業者・安井武雄(1884-1955)は、南満州鉄道(満鉄)の技師の時期(1910-20)に設計に携わったもののうち、3件が今日まで残されている。最も規模の大きな<満鉄中央試験所>(1915、建築面積7,200㎡)は、現在は中国科学院が管轄しており、大通りに面して細やかな表情を示している。内外ともに幾度か丁寧に改修されて美しく、積極的な活用展開が可能な現状である。

<大連税関長官舎>は、今は共産党の施設で、その機能ゆえに大事に維持管理されている。<大連大山寮>は病院となり、外観を維持しつつ、居室を病室に入れ替えて供用されている。中華人民共和国あるいは大連市政府が現実的に建築資産をいろいろな用途に有効活用してきたのは興味深い。そのこともあって、現代の我々は建築のなかから、近代日本の取組み、大連を支えた都市機能の一端に触れることができる。そして、建築様式の混淆が起こる大連のデザイン動向を感じ取ることもできる。

大連における安井武雄の視界にはネオルネッサンス的なありようや、ロシア的なテイストの建築群があったことだろう。これは面白い、と膝を打ったかもしれない。一方で、もともと安井武雄が持っていた趣向を花開かせるには格好のフィールドであっただろう。まさに、安井武雄の青春がそこにある。

佐野吉彦

旧・満鉄中央試験所の穏やかな表情

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