2024/09/04
No. 932
齢を十分に重ねた人生を<長寿>と表現する。まず、長く生きること自体が尊敬に値するのだが、健康で90歳を越えた方に「寿」という言葉を贈るのは美しい。今年、建築家の槇文彦さんは95歳、作曲家の湯浅譲二さんは94歳でそれぞれ人生を終えることになったが、つい最近まで元気な姿に接することができた。槇さんの代官山ヒルサイドテラスをはじめとする気品と切れ味あるロジックを兼備した作品群も、湯浅さんの電子音楽や出身地・福島の校歌に至る多様な仕事も、簡単に忘れられることはないだろう。しかし、若き日の両者は先鋭的なクリエーターとして頭角を現した。心身ともに健康で、かつそのモダニストとしての姿勢は生涯を通じて一貫していたと言える。
それ以上の長寿に恵まれ、102歳で終着駅を迎えたのが椚座正信さんである。1922年に生まれ、大阪府や(旧)建設省の勤務を経て安井建築設計事務所に入社、私が就任する前の8年間、佐野正一の後を受けて社長を務めた。官僚時代に鍛えられた熟練のマネジメント観があり、私自身も薫陶を受けたが、社員には、つねに職階の一段上の視点で仕事をせよ。と言っておられた。一方で、キャリアのベースは都市計画の専門家でもあり、専門人材を育てた功績は大きいものがある。
もちろん発注者の事情をよく認識し、土地信託や事業コンペなど、発注方式の新展開に対しては深い見識があった。こうした局面では、設計事務所にとっては存在理由が問われる。そうした転換期にあって、次の時代の設計事務所が目指すべき役割とは何かを探るにあたってのリーダーでもあったと思う。なお、椚座さんは70あたり、もしかしたらもう少し先まで野球を続けられ、丈夫な足腰、そして良い耳をお持ちだった(そして私と同じく鉄道マニアであり続けた)。コロナ流行前にはOBOG会で乾杯の音頭を取っておられたから、たぶん私は98歳の青年をそこで目撃していたのだと思う。