2025/02/05
No. 953
30年前の1995年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年。そしてMicrosoft Windows 95が発売された年でもある。いずれもその後の社会変革につながるものであり、この年号は重要な節目として記憶され続けるだろう。ちなみにその年、準備を重ねていた翌年の世界都市博覧会を、青島幸男都知事が公約通り、直前中止を決めた。実は、その決定は会場である東京・臨海副都心の都市整備にはさほど影響しなかったようである。このケースでは、博覧会によくあるような、開発のための呼び水ではなかった。2年前にレインボーブリッジが開通、この年にゆりかもめ開業と東京ビッグサイト竣工があって開幕予定に滑り込んでいたが、フジテレビが1997年、りんかい線全通が2002年だから、主たるピースの整備はもともと間に合うようにはなっていなかったのである。
ともあれ、その後の臨海副都心は西寄りの台場・青海地区からオフィス街形成が進んだ。東寄りの有明南地区の東京ビッグサイトは東京モーターショーやコミックマーケットのような知名度の高いイベントをはじめ、長らく高い集客力を保っている(余談ながら2021年の東京オリンピックでは臨海副都心が多くの競技場所となったが、コロナ禍が賑わいを妨げた。祭については運が足りないというべきか)
一方で、2000年頃まで台場地区の一角に限られていた居住エリアは、今や有明北地区に居住人口の厚みがゼロから13,000人ほどに積みあがっている。安井建築設計事務所が設計担当した有明パークビル(ホテル+商業、1999)も、当初は至近の距離にある東京ビッグサイトの支援機能からスタートしたが、どうやら施設内のリモートワーク拠点や飲食街を近隣住民の利用が支えているという。今後東京駅から銀座・豊洲市場を経て東京ビッグサイトに至るメトロ新線が実現すると、一帯に生活感が増すだろう。いろいろな面で先端の地である。
臨海副都心は、私の40代の喜びと冷や汗でできている。