建築から学ぶこと

2025/01/08

No. 949

データの年の初めにあたって

昨年の三が日の災害と空港事故の衝撃と比べると、今年は穏やかに始まったと言えるだろうか。まもなく発災後30年を迎える阪神淡路大震災は、ようやく静かに歳月を振り返ることができるようになったが、能登の復興はかなり道が遠そうだ。それだけでなく、この30年の間には東日本や熊本などの大震災があり、そして新型コロナウイルスの流行があった。30年前にこのような追い打ちが続くことは予想できていなかった。よく日本は生き延びてこられたものだと述懐するが、乗り越えるための工夫は重ね、知恵を得た。一方で、私自身も大病せずに走ってこられたのは幸いである。
さて、このところの社会のキーワードとしてメディアを賑わせてきたのが「データの可視化」である。すでに日常の我々は、多くのデータを引き出しながら生活を維持しているのだが、さらに可視化を発展させた先には、企業や人間への公平な評価、新たなビジネスの開拓などを含む、次世代型の「社会基盤」が浮かび上がる。それは災害対策や社会福祉をおおいに益するに違いない。信頼できるデータに裏打ちされた社会は安心感がある。一方で、我々は言語や非言語の無数の「データ創造」を日々続けている。それらはAIが寄り立つ深層データに活用されてしまうのかもしれないが、データ創造自体は自発性に富むものであり、社会的責任を毎秒毎秒意識して作っているわけではないと考える。
私が重要と感じるのは、「データの可視化」と「社会基盤」と「データ創造」の間に<微妙な距離>があるところである。主体が異なるそれぞれを政治がひとまとめにしたり、迂闊な共有を促したりすべきではない。データ立国であることに異存はないが、微細なところで倫理的な課題をないがしろにしない大国でもありたい。それが着実なデータ立国を育てるのではないか。

佐野吉彦

阪神淡路大震災30年、新たな歩みを刻む節目。

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