2025/06/11
No. 970
大建築家の道を歩みだす前、つまり教育機関で建築を専攻する前に、別の学問を学んでいたケースはいくらかある。篠原一男(1925-2006)とザハ・ハディド(1950-2016)の場合は数学であったが、そこからの転向の決断は成功し、建築家としての力は広く認められることになった。「私の履歴書」的な視点では興味深い経緯だが、プロとしての作品のなかに、数学専攻時の体温や痕跡を特に掘り下げてみる必要もないことであろう。一方で、面白いのは数学に根っ子がある哲学者ウィトゲンシュタイン(1889-1951)が、パウル・エンゲルマンと協働して住宅の設計を手掛けたようなケースである。プロの建築家ではない才能ある人が、建築の本質に迫る過程からは、時代の転換を促す可能性を読み取れるかもしれない。こちらは調べてみる価値はある。
逆のベクトル、すなわち建築を学んだのちに異なる分野に移って成功した例は山ほどある。クセナキス(1922-2001)はコルビジェの事務所で切れの良い作品「ブリュッセル万博・フィリップス館」を担当したのち、影響力のある作曲家となった。ゴードン・マッタ=クラーク(1943‐78)は「家を切断する」アーティストとして社会に問いかける仕事をした。長生きしなかった立原道造(1914-39)は、建築家であることを断念したわけではなかったが、詩人としての名は確実に残った。現役では、松山巌(1945-)は作家として充実した成果を残している。
現在地から眺め渡すと、ハリウッド映画制作にかかわるデザイナーや、企業コンサルタントといった世界には、建築出身者が根を張っている。さらに、「デザイン経営」を正しく導けるのは建築の見識を備えている人ではないか。現代の建築出身者は、専攻課程や実務を通じて磨いた表現力やマネジメント力を社会のために活かしている。ずっと建築側にいる私にとっては、建築の知恵が社会に広がっていることは喜びたい。
ザハ・ハディドによる「東大門デザインプラザ」(ソウル)