2025/05/14
No. 966
前回言及した「コンクラーベ」では、滞りなく新しい教皇を選出し、レオ14世の就任の運びとなった。これも前回触れておいたが、かつて1891年に回勅「レールム・ノヴァルム」を発出し、資本主義の弊害と社会主義の幻想について問題提起して、労働者の人権について踏み込んだ教皇レオ13世がいた。その名に連なるというところに、社会課題を継続して背負う意識が感じ取れる。
レオ14世は1955年にシカゴに生まれた。都市問題と向き合いながら理想の社会像を探る気風を持つ土地柄である。シカゴには19世紀から20世紀にかけて急激な人口増加とアンバランスな都市成長があり、そこでの課題に向きあうところから、この地でロータリークラブやライオンズクラブなどの活動が始まっている。また、新教皇の幼少時は「第2バチカン公会議」の前の時代だから、まだキリスト教各宗派には対立感が根強かった。その後のプロセスで、教会活動の変革があり、キリスト教以外の宗教とも対話が進むようすを実感とともに見つめてきたに違いない。
さて、新教皇のテーマには、カトリックに限らず、人が生きるにあたって神の存在を気にかけなくなっている現状をどう見るか、という点がある。宗教側からの絶えざる呼びかけは必要だが、そもそも人の側が謙虚さや節度、公徳心を失いつつあるとすれば問題である(ちなみにAIに対しては謙虚すぎるという逆説もある)。古くからどの宗教もそれらを戒め、信徒の自発性を引き出すことによって社会に抑制を効かせてきたと言える。したがって宗教にはまだ教え導く役目、信仰を持つと言いながらモラルに欠ける政治家や実業家を諭す役目があるのではないか。社会課題解決を法改正や教育課程の強化、公共の場での過剰な取締りに委ねてしまうのでは、ぎすぎすする。
コミュニティを守る神田明神(神田祭にて)