建築から学ぶこと

2024/05/22

No. 918

思想と思考の春から

 大正時代、建築家・宗兵蔵(そうひょうぞう、1864-1944)が大阪で活躍した。明治の中盤の宗は、大建築家・片山東熊のもとで奈良と京都の国立博物館の設計監理に従事した。その後海軍で施設設計に携わり、やがて活気ある大阪に腰を据えて藤田組本社(1913)や千代田生命大阪支部(1915)などの設計に携わり、様式建築の素養に裏打ちされた成果を世に示した。タイミングとしては、華麗で闊達なこれらの仕事は、明治生まれの建築家が本領を発揮する舞台となった。その後、設計活動の終盤になると若いスタッフが加わり、現存している、灘高校本館(1928)や生駒時計店(1931)などでキレのあるデザインへの挑戦が始まる。宗は1931年に設計事務所を閉じたので、新たな趣向への挑戦は期間が限られ、時代の担い手はここで次世代に移る。インターナショナルスタイルを研ぎ澄ませたのは、1884年生の安井武雄らの世代であった。

 確かに、建築家を育てた時代というものはある。一方で、時空を超越すると思われている大哲学者も、基盤となる時代の状況や瞬間とのかかわりは否定できない。近刊の「実存主義者のカフェにて」(サラ・ベイクウェル、紀伊國屋書店2024)は、そのような視点から、1930年前後のドイツの空気の中でのハイデッガーの登場、あるいは占領されたパリで実存的思考を紡いだサルトルの姿を活写している。メルロ=ポンティが1953年に語っている「哲学者であるかどうかは、明証性“へのこだわりと”両義性“への感覚とを不可分に併せ持っているかどうかでわかる」という言葉には、さらに次の時代の姿が顔をのぞかせている。彼らは、ある局面を通じて鋼のような思考の骨を構築しつつも、やがて自分の時代ではない時代とのきしみを感じながら残りの戦いを続ける。それはなかなか凄い生きざまだが、宗兵蔵にも同じようなことが起こっていたのかもしれない。

佐野吉彦

古くて新しいサムライたち?

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