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建築から学ぶこと

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堀内敬三がいる近代

文部省唱歌「冬の星座」(1947年に教科書掲載)は、音楽家・堀内敬三(18971983)がウィリアム・シェイクスピア・ヘイズ(18371907)の原曲「いとしのモ―リー」(1872)に、本来と違った内容の歌詞を充てたものである。日本の近代にある、馴染みのいいメロディーに美しい日本語をはめる戦術のなかで、「冬の星座」はうまくはまった例と言える。

堀内は慶應義塾の応援歌「若き血」を作詞作曲し、ドヴォルザークの新世界交響曲(1892)の第2楽章の主旋律に「家路」の歌詞を与えた。それ以上に特筆できるのは、音楽評論、音楽番組プロデュース、音楽之友社の設立、今日の東京音楽大学の経営をするなど、戦前から戦後の音楽界に大きな貢献をしたことである。同じような幅広い功績のあった音楽家では山田耕筰の少し下、古関裕而の少し上の世代にあたる。

浅田飴の創業家に生まれた堀内は、1917年から23年にかけて機械工学を専攻するため渡米し、ミシガン大学、さらにMITで学んでいる。この時期は第一次世界大戦直後の好景気であり、日本の社会は海外の動向を意識するようになった。財界から多くが渡航して近代都市の変貌を目撃し、建築では分離派の設立が1920年である。堀内の渡米はそうした動きとのつながりを感じる。

さて、堀内は大学ではもともとかかわりのあった音楽も専攻した。1920年はアメリカでラジオ放送が始まり、レコードが大きく普及した時期である。深い知識に加えてマスメディアの転回を実感したと思われる。いっぱしのヒット曲だった「いとしのモーリー」や新世界交響曲のこともそこで耳にし、楽譜を手に入れたのかもしれない。帰国後に堀内は音楽界で生きることを決め、音楽の振興に本腰を入れることになるが、取り組みの中で結晶したのが「冬の星座」で、それはやがて日本の唱歌の系譜に連なってゆく。

冬から春に向かう空

対話力は設計力

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