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建築から学ぶこと

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都市計画のこれまでとここから

現在の日本の各都市の街区システムは、戦時と復興のプロセスを経て概ね確定している。たとえば近代京都では、中心部のグリッドは江戸期を継承したが、戦時に疎開道路・空地の措置があり、それらが戦後に御池と五条の大街路になったり、公園用地・駅前広場に活用されたりした。今日の街区はこのような経緯で定まり、そのほかの目覚ましいものは官から民に転換した旧国鉄用地ということになるだろうか。それは大阪も名古屋も同様である。東京では汐留や六本木の官有地の活用や港湾部開発が目につくが、街路と街区の基本構成は1950年前後からさほど動いていない。

一方で変わったのは法律と制度である。1919年に国全体を対象として都市計画法が制定され、戦争と復興、高度成長が極まる1968年には日本の人口は倍増した。それ以降は「法」の縛りを最小限にし、「制度」の開発と活用が都市活性化のテーマとなる。そこにあった、すりあわせ・せめぎあいを凝視し、1990年以降の都市計画の歩みを総覧したのが饗庭伸・著「平成都市計画史」(花伝社2021)である。

この時期には規制緩和や地方分権があり、市場の旺盛な動きを取りこんで設定された特区があり、コミュニティあるいは住民による自発的なまちづくり制度がスタートした。結果的に都市はより多彩な性格を持つようになり、法と制度の程よいバランスが都市を活性化させたと言える。だが、住まい手・担い手が入れ替わったり減少したりする時代に入って、ストックをどのように使い、受け渡してゆくのかが課題となる。著者は「制度の方が属人性が強いので、人口が減るということは、法より先に制度が減るということでもある」と述べ、「国土の広がり、都市の広がりに対して、法の使い方、制度の使い方をもっと巧みに組み上げていく必要があり、それが令和の時代へと期待することである」と締めくくっている。おそらく、ここに重なる景観・防災・環境などの課題解決などには、これまで以上に、多くの視点を持つプレイヤーの参画が必要になるだろう。

法と制度がつくる都市景観

対話力は設計力

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