2025/06/18
No. 971
終生、神戸に暮らした池長孟(1891-1955)は実業家であり教育者である。20代には困窮していた牧野富太郎の資産保全や活動支援をおこなったが、37歳のおり、たまたま訪れた古美術店で長崎版画に出会い、それ以降、池長は南蛮美術に絞って絵画や調度品などの蒐集に精力を傾ける。世界的に知られているのは重要文化財「フランシスコ・ザビエル像」であり、スケールの大きな「泰西王侯騎馬像屏風」もよく知られている。
こうした優れた作品の蓄積を、池長がていねいに作りあげた信頼関係が支えた。1937年、その膨大なコレクションを池長美術館で公開が始まる。池長は、コレクションとは個人が死蔵するものではなく、都市の財産としての美術品だと感じていたのである。終戦後は、池長がまとめあげた収蔵品目録とともに神戸市に移管され、池長美術館は神戸市立南蛮美術館と名を変えた。高校生の折に私はここを訪ねて、平賀源内の作と伝えられる「西洋婦人図」を見て心を揺さぶられた記憶がある。
その後、池長コレクションは神戸市立博物館の基幹に位置付けられ、神戸の誇りとなった。ここで6月15日まで開催されていた「蒐集家・池長孟の南蛮美術」展の中では、池長の「芸術とはもっと真劔な、人間の魂を導き品性を高めるべき使命を帯びた重大な奥深いもの」という言葉が紹介されている。これを含め、都市と都市に住まう人に備わっているべき品格について深く考察した文書を読むことができる。ひとつひとつの言葉に宿る洞察力と自負には迫力がある。
彼は港町神戸にあるゆえに南蛮美術の蒐集を決めたのではなかったが、結果的には神戸にとっては、世界とつながる都市の性格をうまく表す蓄積となっている。つまり、過去の貢献に留まらず、神戸の未来に向けたメッセージと言えるのではないか。勇気を与えるコレクションである。
池長孟が目指したもの