2025/07/30
No. 977
詩人・作家である清岡卓行(1922-2006)を扱った展覧会が開催された(神奈川近代文学館)。ずいぶん昔に私は小説「アカシアの大連」や詩集を読み、その透き通った文体に惚れ込んだ時期があった。この展覧会は戦前の大連に生まれ育った清岡の原風景を取りあげる、との予告があったので、気にはしていた。展示には、清岡の生家は満鉄中央試験所に隣接する満鉄の社宅だったとある。その地区の設計に関わった建築技師・安井武雄は、同じく満鉄の土木技師だった清岡の父とは世代が近そうであり、どこかで出会っていたかもしれない。
展覧会では、大連の大広場を切なく歌った詩「円き広場」が最初に登場する。港湾都市大連自体が要衝であるが、かつても、中山広場と呼ばれるようになった現在も、この大広場は、その中心であり続ける。清岡は、詩人として名を成したのちに、幾何学な道路形状、西洋的な表情の街並にある、自らの歩みの原点を見つめなおした。表現が美しすぎるとも言えるが、そこから普遍的な青春を描き出している点には、心が熱くなる。
さて、少年時代の清岡は、ランボーなどのフランスの詩人たち、日本の同時代のモダニズム詩のライブな動きに影響を受けていた。1920-30年といった時代は新たな価値が生まれもしたが、忘れられたものにも再度の脚光が当たった。詩と絵画が融合する「南画」が印象主義・表現主義の先を見せてくれるのではとの期待があったと言われる。そのことを教えてくれたのは、詩人であり文学者である林浩平氏で、彼が企画した「新しい南画の世界」(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)は、さらに今こそ「南画」が再・再発見されるべきカテゴリーであると告げている。
今振り返ると、そのころの建築デザインはモダニズム/国際主義に向かってひた走っていたと考えてしまいがちだが、実は多様なトライアルをしていたはずである。時代をつないでみると、100年前の各地にあった真実と可能性を覗くことができる。
旧・満鉄中央試験所