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建築から学ぶこと

2025/10/08

No. 986

そこで、新たなデザインが遭遇する

建築の歴史とは、その風土にふさわしいデザイン追究の道筋に違いない。だが実際には、誰かが考案したデザインが、時間と場所を大きくまたいで伝わっている。1898年に愛知県半田市に完成した、カブトビールの工場(現在は市所有の「半田赤レンガ建物」)は妻木頼黄の設計による英国趣味の建築で、ここにドイツ製の醸造設備が据えられた。つまり、地場に今日あるスタイルはいろいろな人が持ち込んだ技術で構成されているのである
このような固有の事情とは別に、新しい国土や植民地などで意図的な「移植」を促すケースもある。ここに宗教学の用語にある<インカルチュレーション>(文化の移植。あるいは布教とも言える)を建築にあてはめると、かたちをうまく使って国民の生活スタイルを変革するビジョン、ということになる。ひとつの例が18-19世紀の米国の住宅地景観をつくった「パターンブック」で、カタログ本から好きなパターンを選ぶとだいたい同じ雰囲気の住宅地ができる。これは事業家が味をしめたことだろう。日本での例が「雛型本」で、これを使って大工技術と鳥居や住宅のデザイン全国あまねく伝わってゆく。こうしたやり方は国民意識を形成する道具となり、建築の質を全体的に高める役割を果たした。
一方で、文化人類学でいう<アカルチュレーション>、つまり異文化接触によって文化が変化する(してしまう)ケースが建築でも生まれる。たとえば1873年に松本市にできた「開智学校」(国宝)は、和の伝統技術を使いながら文明開化の時代の洋風教育スタイルに呼応する試みだが、とても上質である。1871年の大阪に誕生した「泉布観」(重要文化財)は、ウォートルスが設計し、洋風建築を実現するために日本の伝統技術を使って正攻法でまとめたものだが、ちょっと生真面目な趣である。いずれにせよ近代以降の各地で、さまざまな経緯でデザインが遭遇し、そこから新たな価値が生まれている。

佐野吉彦

洋ながら和でもあり:文翔館(旧山形県庁1916)

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