建築なんでも相談

建築から学ぶこと

2026/07/29

No. 1026

戦争の爪跡から学べるもの

先日、愛知県豊川市を訪れた。この地の人は郷土に対する誇りが高い印象があるが、求心力の源流は豊川稲荷が創建された1441年にある。明治に入ってからは産業振興により発展し、1939年には、豊川稲荷に隣接して巨大な海軍工廠(バックアップセンター)が建設された。それは終戦の直前の大空襲で灰燼に帰するのだが、跡地は戦後の都市復興の種地となる。
息の長い都市は、そのような節目を経験しながら生き延びてきた。第二次世界大戦の後は、豊川で見るように、それ以前の軍事に即した都市計画がしばしば活かされる。ひとつのケースは緑地や広い街路の活用である。そもそも関東大震災の後期火災が大きな教訓となって、都市整備のなかでの十分なボリューム確保は始まった。やがて防火に都市防空の趣旨が重ね書きされる。空襲が始まると道路に沿った建物疎開が加速して、広い街路がさらに整備された。結局はこれら緑地と街路は現代の都市インフラとして活用されるのだが、美しい京都・御池通の成立の背景には、この折の良好な街並みと営みの犠牲もある。
もうひとつのケースは、軍用地全体の一括活用である。まず、城郭にあった軍施設跡地の多くは、公園に転換した。軍と地域に長いつきあいがあった地域、江田島や土浦などは、自衛隊基地として、同様の役割が継続している。陸軍の代々木練兵場は、米軍のワシントンハイツ時代を経て、緑豊かな代々木公園に転身した。一方で、新宿区の戸山が原一帯に広がっていた陸軍の用地は、公園・大学キャンパス・病院・集合住宅などに分かれて街に吸収される。戦前のある時期までの軍用地には地域の子供たちが出入りすることもできたようだから、こちらは緩やかに街に溶け込んだ例であろうか。
このようにして、戦争は、間違いなくあちこちの都市の歩みに影響を及ぼした。それを手掛かりにして、戦争による日常の破断、あるいは克服について掘り下げることができそうだ。

 

参照文献:「軍都を歩くー基地と住民の地域生活史」 (清水亮、2026中公新書)

佐野吉彦

平和な夏の祭り、豊川にて

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