2025/12/03
No. 994
私が10代のころにイメージしたユダヤ人とは、マーラーやメンデルスゾーンのように、行動においては孤立を選ばず、ドイツ・オーストリア文化に大きな寄与を果たしたありようである(1970年代はそのような言説が多かったのかもしれない)。のちに私は、ニューヨークでしばしば伝統主義的な過ごし方をする人たちと出会うことがあり、ユダヤ人アイデンティティとは根強いものと感じた。その根強さの底には、歴史的変遷、実に多くの局面での板挟みがあり、ユダヤ人の行動における<概念の拡張>などがあった。この見取り図を提供してくれたのが「ユダヤ人の歴史」(鶴見太郎著、中公新書2025,サントリー学芸賞受賞)だった。
この著作が扱う守備範囲は古代から現代まで幅広い。ドイツにおけるホロコーストの罪状を減じるものではないが、それに先立つ、あるいは並行するポグロムと呼ばれる悲劇にはまだ十分日が当たっていないようだ。こうした流れは昨今のガザに向き合うときのイスラエルの過剰なふるまいを冷静に見つめる良い導き手ともなる。かつて西欧においては、キリスト教とユダヤ教は長い間の微妙な位置関係があったが、現在のユダヤ人は迫害されることもなく、また彼らと国家イスラエルの立ち方との間には直接の関係はない。これらを幸いとするとしても、うまく引けなかった国家の境界線が生む民族の悲劇は世界各地にある。この本を通じて、ユダヤ人が背負ってきた歴史を学びながら、ほかの民族の帰趨に思いを馳せることになる。
ところで、卓越したユダヤ系には、アインシュタインやシャガール、建築家ではルイス・カーンやフランク・ゲーリーなど枚挙の暇もない。もちろん当人の個性と努力があるに違いないが、それぞれには明瞭な普遍性指向がある。それでも、ゲーリーのつくる空間にはユダヤ教のシナゴーグ(会堂)にある独特の神秘性のかすかな香がある。
プラハのシナゴーグ(簡易模型)