建築なんでも相談

建築から学ぶこと

2025/11/19

No. 992

風吹く街から―大分にて

大分湾は懐の深い、包み込むような海である。汀に沿って城下町・大分、野生のサルとその研究で有名な高崎山を間に置き、湯煙立つ別府がある。大分の歴史は大友宗麟の栄華に遡ることができ、別府温泉の名は明治になって高まった。一方、戦後の復興の中で、大分市は工業の基盤を盤石にし、骨太な人材を輩出し、別府とともに文化の厚みを増してきた。そこには目標をじっくり達成してきた、志の高い気運がある。
たとえば、大分市近くの臼杵に生まれた実業家・首藤定(1890-1959)という人物がいる。戦前は大連商工会議所会頭、大連のロータリークラブの会長を務めた名士だった。その経緯もあって、戦後の在住民の引揚げとその後の就職に尽力した。この際、自らの膨大な美術コレクションをソ連に譲ることまでした。なお、首藤は1950年には大分にロータリークラブを創設している。
もうひとり、大分の実業家で、俳人であったのが磯崎藻二(操次、1901-1951)である。前回取り上げた建築家・磯崎新(1931-2022)はその長男であり、彼によれば、父は自分のために人の縁を残してくれた、という。この地にある活力を汲みあげ、縁から発する信頼に十分応えた作品「大分県立大分図書館」(1966)は初期の力作である。現在はアートプラザと名を改め、磯崎新建築展示室がここに常設されている。
この磯崎作品を始め、大分湾に沿ってたくさんの名建築が健在である。別府公会堂(現・別府市中央公民館、1928)の設計は吉田鉄郎であり、二十三銀行本店(現・大分銀行赤レンガ館、1913)は辰野片岡建築事務所の秀作である。坂茂も青木茂の名前も連ねると、ここに紹介した建築家はいずれも次世代の優れた建築家を育てた。よい建築を生み出す風土は、よい人材を生み出す空気をつくると言えるだろう。

佐野吉彦

大分銀行赤レンガ館(辰野金吾+片岡安)

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