2025/11/12
No. 991
丹下健三氏の葬儀(2005.3.25)において、磯崎新氏は弔辞の締めくくりに「私は誰もが口にする、やすらかにお眠りくださいという決まり文句をいいたくありません。丹下健三先生、眼をみひらいて、見守っていてください。弟子どもが道をふみはずさずに、先生の意志をついで行くことができるかどうかを。」と語っていた。おそらくこれは師への謙虚な語りかけというより、自分を含めた弟子はそれぞれの挑戦を、師に倣って自分を甘やかさずに貫くのだとの決意表明だったかもしれない。この弔辞の全文は宮沢洋著「画文で巡る!丹下健三・磯崎新建築図鑑」(総合資格学院2025)に掲載されている。著者は、丹下・磯崎両氏の方法について作品を手掛かりに並列して読み解いているが、両者は異なる問題意識と切り込む力を有し、そして同じように甘えがない。両門から気骨ある人材が育ったのはその結果である。私は30代のころ、磯崎氏としばしばお目にかかる機会に恵まれたのだが、先を見る発想は作品だけでなくすべての行動にわたっていた。それでいて、素朴さもある温かな人柄にはいつも変わりがなかった。
さて、この本を遠出の友として、山形に向かった。1972年に山形交響楽団を創設し、育てた指揮者村川千秋氏を追悼するコンサートである(常任指揮者・阪哲朗が指揮)。第973回でも触れたが、村川氏は子供たちが質の良い音楽を楽しむ機会「スクールコンサート」を県内各地で継続し、出身の地である山形に音楽文化の基盤を築いた。しかしそれは普遍的な解きかたではない。山形なら可能な、山形だからこそ成し遂げられる「個性ある文化」であった。人口も経済規模も限られている山形で、豊かな土壌を形成するには時間も手間もかかるものだ。だからこそ「個性」にこだわることは逆に早道なのではないか。村川さんに甘えがないことは、ほかの文化領域においても示唆を与える。大切なメッセージを受け取った秋の日だった。
追悼コンサート会場の展示。