2025/12/17
No. 996
我が家の猫は、その日によってふるまいが異なる。どうやら考えていることが違うらしい。しかしそう割り切ってしまうだけでは猫に対する理解が浅いのだろう。猫とは身体の大きさも異なるし、猫には独自の思考体系や言語体系があるはずだ。
最近注目を浴びている鈴木俊貴さんは鳥類の行動研究の専門家で、鳥のコミュニケーションの取り方をフィールド調査し、その囀りには文法が存在することを突き止めた。それは危険を仲間にただしく知らせるための道具立てとなる。鈴木さんはヒトの間尺に合わせて解釈せず、森に身を置いて鳥のありようをひたすら見つめる。そして鳥には、ヒトが二足歩行を覚えて森を出てから身につけた能力と引き換えに失ったものが残っていると考える。
さらに、「ヒトのコミュニケーションの中にはまだ言語化されていないような音楽的な要素もあって、言葉を並べるだけではそれを伝えきれない(*)」というくだりにあるように、じつはヒトには言葉を精緻に扱う能力だけではない、鳥と同じような身体を介したコミュニケーションの取り方を捨ててはいないようだ。そういう意味では、鳥に限らず動物を見つめることによって、あるいはそれらへの尊厳を失わないことによって、ヒトは自分自身のありかたをより正確に理解できるのではないだろうか。
特に、ヒトはこれから「AIに頼ることで、言語の出現によって生じた問題がさらに加速する(*)」ことがある、とも述べているように、今後注意しておかないと、効率的なふるまいによってさらにヒトの能力は衰えてゆく可能性はある。この点では、ヒトの社会にある様々な領域相互が、それぞれの未来について対話を深めることも必要だろう。鈴木さんが注目を集めているのは、その優しい人柄もあるが、私たちが持つ漠然と持つ「お互いのわかりあえなさ」をそっと戒めてくれているからではないか。
建築とアートの若手、対話するーARTIST TALK @美土代クリエイティブ特区(12月8日)