建築なんでも相談

建築から学ぶこと

2025/12/10

No. 995

神事について考える

建築工事の始まりと終わりの神事は、型が決まっている。ほとんどの場合、敷地周辺にある神社の神官を招くのは、その土地に手をつけるからである(遠出するケースは多くはない)。神道式であれば型のバリエーションは限られるが、ときおり行われる仏式やキリスト教式での開催では、宗派ごとに祈りの進め方が異なるところがある。
私は、設計事務所の立場として神事に参画しはじめてから40年を越えるが、飽きることは全くない。特に、始まりの地鎮祭は、建築主・設計者・施工者そして近隣関係者が初めて公式に出会い、覚悟を確認しあう機会である。そして、行事進行を束ねる施工者の仕切りかたは、続く工事の段取りの良し悪しを予見させる。たとえ30分の時間の中にも、天候急変や出席者不着、体調変化などいろいろな事件が起こることがあり、スマートにこなせるかは大事なのである。工事期間中に行われることがある上棟式などでは、工事後半の職種が輻輳する局面に向けて、プレーヤー間の信頼関係も試される。とてもスリリングで退屈しない時間だと言えよう。
以上のような話は本連載第74回でも紹介したが、そもそも想像が現実となる建築工事自体が奇跡的なできごとであり、神事のクライマックスである神酒出現とて奇跡である。つまり、30分の神事の中で奇跡のエッセンスに触れ、類希なる取組みの志を共有するという精神的な側面がある。さて、神事に引き続いて、関係者それぞれはひとくさり挨拶を述べる機会が与えられることがある。それは自慢話ではなく、この節目が長い時間の流れの中の中間地点に過ぎないことを謙虚に表明する。竣工を祝う日であっても、まだ建築活用はスタートしていない。建築とは、より良い未来を創り出す結果を目指しつつ、幸運に身を委ねる要素が多いのではあるまいか。

佐野吉彦

御器所八幡宮(名古屋市)

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