建築なんでも相談

建築から学ぶこと

2026/03/18

No. 1008

言葉とともに新しい風景を見る

この季節は人の異動が多い季節である。たとえば自分の入学式や卒業式でどのような言葉をかけられたかはあまり記憶がないが、現代の学長は社会の課題をかけあわせながら見事に本質に迫る言葉を紡いでいる。こうした場面は学長の1年の中で最も腕を振るう瞬間と言ってよいが、授業と違って今日は大事な話をするぞとは言わない。せめて、聴く学生の頭の中にいくらかでも残るといいと思う。きっとその深い意味合いにやがては気付くのだろう。私も、あらたまった席だけでなく、社内で辞令を渡すときや、知人に「今度転勤することになりました」と告げられたときに、短くて素敵な言葉がかけられたらといつも考えている。これから先に出会う風景が一番素晴らしいでしょう、とか。
先日、元水泳選手の寺川綾さんが講演の中で、選手にネガティブな言葉をかけないようにするなど、キャスターとしての苦心を語っていた。それ以上に私がこの講演で印象付けられたのは、現役時代の彼女がオリンピックでメダル獲得後にインタビューで「自分で決めたことは自分で裏切ってはいけない」という切れのある言葉だった。一度スランプを経験し、きつい練習を自ら課し克服した選手にとって、これは魂の叫びでもある。人にかけるとしたら響きが強いのだが、真実に触れる言葉を聞いたと感じた。
この1年ほど、学生時代に取り組んでいたチェロを40年経て本格再開し、アマチュアオーケストラの片隅で演奏に加わる機会を得ている。あらためて目の前にあるベートーヴェンの楽譜が緻密な論理を含有していることに驚いているが、何とも私の技量は不足しており、そもそも若い頃の鍛え方が足りないと反省する。しかし寺川さんの言葉を借りれば、これをやると自分で決めたから途中で学びをやめるわけにはいかない。なぜなら、私にとっては新鮮で幸せな風景に出会うことができるからだ。

佐野吉彦

ここで新しい風景を見る(日本橋三井タワー)

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