2026/04/22
No. 1013
日本の建築工事の初めと終わりには、多くの場合「神事」が催される。仏事ほか様々な宗教での儀式の場合もあり、いずれも建築工事関係者が心を合わせ、目標を達成する願いがこめられる。もちろん展開を神に頼むのではなく、神に向かって覚悟を表明する場と言うべきだろうか。こうした場面では、特別に建築工具への畏敬が払われるときがある。工具がその使命をただしく果たすなら、正しい結果が導かれるというわけだ。
工具の一つである墨壺とは「大工工事において、材木に基準となる線を記すために用いられる。柱や梁の取り付け位置、継手、仕口の加工線など、施工の各段階で作業の精度を支える重要な道具である」と定義される(*)。そこにある責任感が、墨壺を神聖な形状に導いた。竹中大工道具館で開催されている「墨壺百態」は、その変遷と広がりを追い、世界における同様な目的を持った工具との比較を行っている。神聖さにおいて、日本の墨壺は特別な表情をしているが、それぞれの風土にある同様の工具が、受け継いできた固有の構法を確実に支えている。墨壺の役割は、いまも変わりがない。
じつは、今回は安井武雄による墨壺コレクションからいくつか展示がなされている。かつて安井家の蔵にはたくさんの墨壺を納めた箱があり、孫である私は子供のころ、魔法の靴のように見えて興味津々だった。後年、私は草創期の竹中大工道具館に箱ごと寄贈することになるのだが、その価値は道具館の手で次第に明らかにされる。そして今回、このように立体的な位置づけを眼のあたりにするのは喜ばしいことである。墨壺が鋸や鉋のような主役の工具たちと同じように、解明がもっともっと先に進むことを期待したい。
あらためて眺めると、墨壺は魅惑的である。安井武雄はどのような思いでそれらを集めていたのだろうか。
*「墨壺百態 展覧会図録」
安井武雄の墨壺