2026/05/13
No. 1015
本連載第855回で、明治以降の刑務所建築の歩みを追った「刑務所建築史 戦前編」[矯正建築歴史研究会編 、(公財)矯正協会刊]を紹介している。明治の政治家は、不平等条約改正のために法治国家確立を目指す覚悟を固め、優秀な技術者を集めてプロトタイプをつくり、合理性をベースに置きながら、威厳と品格のある刑務所建築の実現を導いた。
まず整えた刑務所が<明治の五大監獄>と称せられている。放射状・分棟型の施設の全貌が概ね残っているのは奈良監獄(1908、重要文化財)で、そのほかの千葉・金沢・長崎・鹿児島は正門が遺されたり、移設保存されていたりする。いずれも堂々たる構えだが、デザインの趣向には地域性を取り入れたバリエーションがある。概ねが山下啓次郎(ジャズピアニスト・山下洋輔氏の祖父)の設計によるものだが、影響を受けた辰野金吾や妻木頼黄の切り口をさらに先に進めている。刑務所だからと言って、保守的ではないのである。その後登場した、後藤慶二の設計による豊多摩監獄(1915)や蒲原重雄による小菅刑務所(1929)は分離派の名作である。ずっと先取の精神が持続していたと言えるだろう。刑務所の設計は日本の近代建築を力強く転換させる力となったのである。
一方で、刑務の機能については、いまはどこの刑務所も都市部から郊外に移転し、スタイルも変わりつつある。跡地は、たとえば大阪監獄は扇町公園に、豊多摩監獄は中野区・平和の森公園に変わって、穏やかな緑地を提供している。奈良監獄については、既存建築を活用して、この春に「奈良監獄ミュージアム」、夏に「星のや奈良監獄」が開場する。耐震改修の事例として興味深く、奈良の中心に程近い距離にある文化財の価値を引き出すソリューションである。ミュージアムは深い学びを引き出す場となっているが、独房をうまく生かした高級ホテルは人気を集めるだろう。
山下啓次郎のデザインには「辰野バロック」の影響が。