2026/05/27
No. 1017
ある時代の建築が残っていることで、その時代を想像することができる。たとえば、江戸時代の住宅や政庁の「かたち」を手掛かりに、そこにいたはずの私たちの先人の運命が、可能性を広げたり狭められたりしたことを理解する。そこには、誰かの幸運と悲運が詰まっており、また未来につながる貴重な知恵や教訓が宿っている。だから建築の維持は貴重なのだが、もし建築が失われてしまっても、そこで過ごしていることの喜びや辛さを書き残した記録があれば、その時代の建築や都市のリアリティが再現できるだろう。
さて、エイミー・スタンリー著「将軍の都の客人」(みすず書房2026)は、江戸時代の末期、越後生まれの常野(つねの)という気丈な女性が、江戸に出て人生を切り拓いた物語である。その名前が残ったのは、常野が多くの書簡類を残し、幸運にも、生家である寺によって保存されていたからである。著者はそれらと関連文書を読み解いて、不当に扱われることが多かった彼女の人生、居住空間の変遷をたどりつつ、その周囲の人々が、非情な都市で何を喜びとし、苦しみとしていたかをも照らし出す。49年を生きた常野の没年は1853年だから、ペリー来航の年である。幕府は国内統治不安にも怯えており、それはほどなく現実のものとなる。
常野の日常は、江戸で就いたさまざまな職を通じて、都市の活力維持に寄与することだった。その汗はなかなか報われない。一方で、女性である著者は、当時の日本に限らないが、女性の地位が低く置かれた時代にあって、常野が、この都市で生き続けるために自らが主体的に方向を選択してきた点に着目している。その人生は、その時代のアジアが共有できる物語でもあるのだが、常野に固有の物語でもある。著者は、そこにある現代に通じるメッセージを掘り起こす使命感とともに、ひとりの女性がどのように自らに誠実に生きたかについて愛情をこめて語るのである。
その人生は生き生きとしている。