2026/06/10
No. 1019
たまたまの縁ながら、この一年の間に北前船の寄港地をいくつか訪ねる機会を得た。司馬遼太郎「菜の花の沖」が紹介するように、寄港地は、乗員が休養しながら荒れた波をやり過ごしたり、米や木材などの取引・商談を進め、船を修繕したりする。それぞれの街を拠点とする船主は総合商社のような存在である。結果として、商家の普請は充実した仕上りとなり、離れた場所の様々な文化が根を下ろす。今回訪ねた富山市の岩瀬地区はその例の一つで、江戸時代前期から明治時代後期に至る歳月、このような性格を維持して賑わいを見せていた。
岩瀬の本通りは大町新川町通りと呼ばれる。訪れた日は外国人を含めて、多くの人で賑わっていた。そこには重要文化財の森家住宅だけでなく、洗練された、しかしフレンドリーな気配がする木造家屋が並んでいる。実は今日賑わう岩瀬はそのような形へと再生・進化したのである。それは、前回紹介した内子町のような、景観保全活動に熱意を燃やした街とは立ち位置は少し異なる。この地の新たな隆盛には、桝田酒造の五代目桝田隆一郎氏の強いリーダーシップがあった。それは昔懐かしい岩瀬の復権ではなく、クラフトと食の街に育て上げる目標を見定めたまちづくりであった。2004年に岩瀬まちづくり株式会社が設立されて以来、未来に向けた岩瀬の様々なチャレンジが続いている。
現在の岩瀬の建築は一定の節度を保ちつつも、景観ルールに縛られずに、とても自由にふるまえている。そして、運ばれてくる文化のバラエティも、寄港地時代以上に自由度が高い。つまり、岩瀬が目指しているのは、北前船寄港地にあった精神の復権だと言えるだろうか。自由な魂を持つ個性の参入を歓迎し、一緒に岩瀬の価値を高めようとしているところが素晴らしいのである。富山駅からはライトレールで20分ほど。この小気味よい交通システムも自由さを支える一翼を担っている。
岩瀬にある自由な空気。