2026/09/02
No. 1030
ある時期まで、実施設計の細かいところまですべては手描きだった。そして、それを青焼きして複製していたので、機器を持つ専門会社が設計事務所の近傍にあったり、社内に常駐していたりした。焼いてこそ見栄えがする図面もあり、ここでのやり取りも設計プロセスの一つではあった。やがてCADが普及し、コピー機が進化し、成果品はデジタルデータとなり、道具もオフィスの風景も変わっていった。日常つきあう相手は変わったが、それでいて建築設計の手順や法の責任は、ここで起こってきたほどには変わっていない。結局は、建築の設計とは、共創する専門家の顔ぶれが違ったとしても、相互確認をする段階を踏んで、ねらう質を実現することにあるのだ。ねらう質は、それぞれの設計プロセスで異なるから、設計者は必要な情報を選択して完成に導く。ここも古くから変わらない。
こういう見取り図は、現代の、様々な分野でのアルゴリズム活用と本質は変わらない。異なるのは、もう少しアルゴリズムの精度が高まっていて、途中段階での検証の姿勢が弱くなりかねないところであろうか。手間をかけるのが設計だとしたら、検証・問い直しこそ設計の本質の一部なのではないか。そこは産学が連携し、若い世代の教育の中で伝えたいところである。
一方で、AIの活用については、アルゴリズムとは別の注意を要する。建築とは、発注事情・敷地性状などによって固有性があるから、完全な自動設計は難しい。設計プロセスのある部分をAIに託すことは大いに認めたいが、AIに無自覚に結果を委ねてしまうと、リスクはさらに大きい。ねらう質に即した検証、結果の吟味の進め方についても、私たちは進化させておかねばならないだろう。
しかしながら、建築設計の手順や法の責任は、これから先も同じなのかどうか。設計という職能は無くなることはないが、細部の変化に注意を払うべき局面に、私たちは立っている。
生成プロセスの可視化?(ジャコモ•バッラ@大阪・関西万博イタリア館)